毎月同じリズムで満ち欠けを繰り返す月。
前回の月食では
地球の影に月が入る時間には雲がかかり
赤銅色の月は見ることができませんでしたが、
欠けた月が、再び元の満月の姿に戻っていく姿は見ることができました。
月は人間の「心」「魂」を表すとされています。
満ち欠けする月に、三日月、上弦の月、寝待ち月 など
様々な「名」がついていますが
その姿は幻想で月は一度も欠けることなく地球に寄り添っています。
一喜一憂、優越感、嫉妬、虚しさ、孤独感、高揚感、優越感
自己憐憫、様々な感情という仮面は時に「本質」の姿を眩まし
私たちを「本質」から遠ざけてしまいます。
天にも昇る心地や、この世の終わりのような悲しみは
私たちに「ドラマ」を見せ、そして
いつしかそれを、演じることで 舞台を真実だと思わせてしまいます。
本来は、私たちが脚本家であり、監督であるのに
いつの間にか、「仮面」をつけ ドラマの登場人物となり
舞台に囚われてしまっているのです。
解決しようにない問題も、
終わりのない苦しみも 舞台から降りることで
自らが、展開を変えることができる
と誰かが言ったとしても
実際に舞台から降りることは、簡単ではないのかもしれません。
でも、実は日常の中に「本質」に繋がる瞬間は溢れています。
誰もがその瞬間が訪れた時は「これが私です」と感じ、身体に力が漲ったり
穏やかな気持ちに満たされたり、感謝の念を覚えたりするでしょう。
自然の中でゆっくり時間を過ごせた休日。
ずっと許せなかった相手を許せた瞬間。
ふと見た空が美しい夕焼けだった時。
素晴らしい芸術作品に触れた時。
心の底から笑った時。
努力が報われた時。
誰かを愛おしいと感じたき。
気持ちが通じた時。
自由を感じた時。
そこには、こうしたい、こうして欲しいもなく
ただ、自然に自分自身。
それが本当の姿。満ちた月の姿のように
内側から満たされた、本質に繋がった姿。
本質を感じる瞬間。
ただ、見かけ上満ち欠けを繰り返す月のように「感情」は揺らぎ
姿形を変える。
現実社会で生活をする私たちから「感情」を取り除くことは難しく、
イラついたり、焦ったり、落ち込んだり、自信に満ち溢れたり、
誰かと比べて見たり、安心したり、
様々な感情に揺れ動く。
ただ、それは、海の波のように表面であり
決して本質ではないということを、月は常に教えてくれます。
この世界に生まれ、体験し、目にして来たものにより
作られた「概念」に蝕まれてしまわぬように
自分の本質に繋がることを。
自分の本質を忘れないようにするこを。
月はいつも教えてくれています。
本質の声は大きくなってくるでしょう。
自分自身でありたい。そう強く願い出す魂が増えていくことでしょう。
ただ、私たちは「社会の一員」でもあり
世捨て人になるわけにもいかず、
例えば、環境問題に心を痛めながらも
プラスチックを使い、ゴミを出し
過剰な商品に疲れながらも
あれが欲しいなと思う。
本質で生きたい。
自分らしく生きたいと 思っても
仕事をすぐにやめるわけにもいかず、
そこから立ち去ることもすぐにはできない。
進みながら後退し
広げながら片付け
主張しながら受け入れる
ありとあらゆるジャッチから自由になった時、
変わる姿、揺れる感情を受け入れ そして そこから解放された時
永遠に本質と繋がれるのかもしれません。
身体を持つ以上、難しいことなのかもしれませんが
ただ、いつも揺れ動く波の底には「本質」があるということを月は
教えてくれています。
自分らしくあるために捨てる勇気、諦める勇気をくれる魚座 下弦の月。
何かが剥がれ出すのを感じるかもしれません。