昨日は 優しく 暖かな雨の日でした。
静かなカフェでの プラーベートセッション。
待ち合わせのカフェの駐車場に車を停めて 中を覗くと
鮮やかなピンク色のパンツを穿いた女性が見えました。
「目が醒めるような ピンク、最近ピンクに縁があるな」
なんて思いながら
綺麗な発色に癒されて中に入りました。
天体図 ある瞬間の 星の場所を 刻印したもの。
暗号を解読するような時間。
記憶を呼び起こす時間。
2人の共同作業。
占い ではなく セラピー 。
本来
太陽を射手座に持つ人は 自由で束縛されることを嫌う。
水瓶座を水星に持つ人は ユニークなコミュニケーション。
というような 教科書通りの
1+1=2 の答えは そこにはない と私は感じます。
心臓が脈を打つように 生きていて
人が様々な表情を持つように 定まっているものでありません。
決まった答えはない ということを いつも思い知らされ
そして、そう思うことも 既に決まっているのか と 思い知らされることもあります。
言葉で説明できないものを 体感することは
「対話」から生まれます。
知への愛 「フィロソフィア」を謳った ソクラテス。
答えを与えるではなく 対話の中で、道筋や 答えを導きだした。
対話の中で答えを導きだす。
目が醒めるような 赤 じゃない?
という投げかけから始めれば
でも、もう少し 柔らかなイメージがする。
じゃあ このまろやかさのある赤?
その赤 いいね。 でも 艶感が欲しい。
あ、じゃあこれかな?
あら、イメージと離れちゃった・・・・。
赤ではなくて このボルドーではない?
あ、こちらがしっくりくる。
そんな風に 「ある起点」から 問いを続けて
答えを導きだしていく。
時間には、小さな局面が無数にあり
空間にはグラデーションがある。
古代の人は、そう言う 微かなズレや、変化をきちんと読み取っていたような気がします。
「些細なこと」が 重なると それは 「重大なこと」になります。
「軌跡」は重なると 色濃く現れます。
そして、「奇跡」を起こす。
何気なくしている選択の積み重ねが 「今目の前にある現実」をつくるように。
現代では「繊細さ」は 邪魔になることが多いで、知らず知らずのうちに
感じ取ること「センス」は失われてしまい、眠りにつく。
「赤」は赤。
今日は今日。
とりあえずこれ。
あの人はこんな人。
世界はこうだ。
1+1の世界。
でも 本当は ひとつの答えはなくて 無数にある。
無数にある答えの中から 自分にとっての正解を探す。
誰かの答えや、単純なひとつの答えに安易に飛びつくのは
「自分を忘れたまま」でいる状態。
自分を思い出すというのは、簡単なことではないかもしれません。
たくさんのルールや 思い込みで
着ぐるみや鎧を着て それを自分だと思い込んでしまうこともある。
着ぐるみや鎧は、自分を守ってくれたり
社会との接合点の窓口になってくれるけれど でも それは 本来の自分ではない。
忘却の淵に 追いやられた 「私」に起こして 主導権を 渡すこと。
「自分を思い出すこと」
歳を重ね この世界の熟練者になっていき
歳を重ねるごとに 純化していく。
得ながら 脱ぎ捨てる 。
いつも 物事の中に 反対のベクトルものが存在する。
吸う息と吐く息の間
未来から流れる時間と 過去から流れる時間が交差する場所。
見えるものでも 見えないものでもないもの。
センスを磨くのは、筋トレに似ています。
「3月はどんな月だった?」
どのような変化が自分に起こった?
色で表すと どんな色だった?
4月をイメージする香りを想像してみて。
イメージすること。
それから
自分の感覚で 花を選んだり
大切な人のプレゼントを選んだり
テーマを決めて 料理を作ったり
夥しい情報、圧力のある映像、
インパクトのあるものに触れつずけていると
センサーが 壊れてしまう
そんな気がします。
身体をリセットするファスティングと同じように
プライベートセッションが
心を浄化する
そんな時間や機会になってくれたらと思っています。
忙しい毎日に疲れた
何か忘れているような気がする・・・
そんな時には、
もうひとつの時間の中で 解き放たれた感覚を思い出してみてください。