moon

Diary of C

好きなこと ワインを飲むこと、踊ること、絵を描くこと

土星が 水瓶座へ。 「個」を謳う時間。

 

星の時間を読むことは、

 

1枚の絵画の前に立って 時間をかけて

 

そこから何かを 汲み取り 読み解く 時間に似ています。

 

 

そこに 絶対的なものはありません。

 

 

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目の前に広がる 風景に ただ ただ 自分の心を投影しているだけです。

 

そしてひたすらに 浮かび上がる言葉を 流していくと

 

その先に 、見えるものがあります。

 

 

それは、本来は言葉で尽くしきれないものだと思います。

 

 

「制限 コントロール 時間」を司る 土星が    昨日  3月22日に 水瓶座に移動しました。

 

 

土星は 約29年かけて 太陽を公転するので

 

1つの星座に約2.5年ほど滞在します。

 

土星は 滞在する星座のテーマに

 

形を与えていく、その星座のテーマを研ぎ澄ませていく。

 

わたしはそのように読み解きます。

 

 

水瓶座を彩る言葉たち

 

「自由」「フェア」「グループ」「宇宙」「未来」「個性」「風」

 

「真実」「知恵」など。

 

 

水瓶座は12のサイクルの中で  11番目のストーリーを担当しています。

 

 

形容するならば

 

「作られたものを壊す」

「安全と思われる建物から出る」

「真実を求める」

「既存の枠組みを飛び超える」

 

ひとつ前の星座「山羊座」で作られた頑丈なお城  「権威」「ブランド」「鎧」

 

そういった

 

自分を守ってくれていた 大きな壁を 砕いて  

 

裸で透明の自分で 世界に挑む 。

 

そういった ことを課していく エリア。

 

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そこに 土星が入るとき

 

2年半かけて   水瓶座のテーマが 研ぎ澄まされていくわけです。

 

 

実は、今回水瓶座に入った土星は 5月には逆行を開始し 再び  7月2日に山羊座に戻ります。

 

 

土星水瓶座に正式に 入るのは 12月17日。

 

このあと、木星水瓶座に入り 12月22日グレードコンジャンクション

 

本格的な「水瓶座」に時代へ入っていきます。

 

 

 

今回の 土星水瓶座時間は  その 伏線のような 告知のような時間。

 

 

「自分」の照準を「社会が求めるもの」に合わせてきて なんだかチグハグだったと感じる方も

いらっしゃったのでは ?と思います。

 

もちろん 反対に社会の求めるものを差し出すことができ、到達したい場所に辿り着いた方もいらっしゃると思います。

 

根底に流れる「社会に対しての自分」。

 

 

 

 

 

「本当はこうしたい」

 

でも  

 

「社会がもとめているもの」に自分を合わせていかないといけない

 

「社会」が必要とするものにならなければいけない

 

 

2017年終わりあたりから、やりたいこと、チャレンジしたいこと  世界が  広がっていく中で

 

そうした見えないプレッシャーが地に根を張らせるように存在していました。

 

それが 土星山羊座の力です。

 

枠組みの中、既存もルールで力を発揮しやすい方にとっては、このプレッシャーは 心地よさに感じられたのかもしれません。

 

 

 

その圧力の中で培われたものが 水瓶座の時代に入っていくと解放されていきます。

 

 

今回の3月22日から7月2日までの

 

ショートトリップは、土星水瓶座のエリアを視察するような時間。

 

守り手であり、試練を与える星 土星

 

「自分を閉じ込めていた壁」は「自分を守ってくれていた壁」。

 

 

ありとあらゆる神話やおとぎ話にでてくる 「城」「洞窟」は、自身の周りにある「壁」の比喩。

 

 

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塔を抜け出したラプンツェル

 

 ゼウスが育った ディクテオンの洞窟、

 

プラトンの洞窟の比喩。

 

 

守ってくれていた世界 、   真実だと思っていた世界、

 

全てだと思っていた世界からの旅たちを予告する時間。

 

 

個を謳う時間。

 

 

まだ見ぬ自分への愛 を試されるとき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に。

 

 

占星術師たちは、星の運行を 占星術の知識をもとに

 

自身でさまざまな解釈を試みます。

 

 

それは、料理人が 与えられた食材で 様々な料理を生み出す様に似ています。

 

 

解釈は事実ではなく、生み出されたものです。