私は、ジャズピアニスト 上原ひろみの リサイタル
名古屋芸術劇場にいました。
オペラ座のように高い天井 品の良い木の内装に 多くの人々
グランドピアノ1台。
シックでクラシカルな空間に響く ピアノの音
山羊座木星の オープニングにふさわしい、、なんて 一人で思っていました。
天体の動きと自分の毎日になんらかの関連性を見つけ出す ゲームは
人生を楽しく生きる一種の 手法であり そして、簡単ではない毎日に
彩りを与えてくれるセラピーでもあると 私は思っています。
身体ひとつ 両手 両指から 放たれる 音。
彼女の本質が、彼女の体を超えて会場全体までに広がった瞬間には
私の身体の細胞が一斉に振動。
と同時に、会場内に拍手。
ここにいる多くの人々が同時に、何かを感じた瞬間で
言葉や目に見えるものを超えた何かが そこにありました。
世界的に認められた 才能。
私の記憶に「超えている」という言葉が刻まれました。
指から繋がる 彼女の腕に浮き立つ 筋肉から
想像を遥かに超えた 努力や ひとつのことに向き合い続けた年輪を感じ
感服せざるにはいられませんでした。
舞台が 明 だとすれば
日々は暗。
美しく 舞台の上に描き出された コントラスト
素晴らしい時間でした。
そして、昨日は 名古屋美術館 ガラヴァッジョ展へ。
鮮烈な印象を見る者に与える バロック画家 。
後世の画家に多大な影響を与えた狂気の画家。
ガラヴァッジョ。
キャンバスに描き出された光と影。
キアロスクーロを新しい方法へと昇華させた 奇才。
艶のある暗闇の中に、蝋燭のあかりが 浮かび上がらせる コントラストは
美しくもあり、同時に 心の奥底にある タブーを呼び覚ませます。
ガラヴァッジョが死ぬ間際に携えていたとされる
「法悦のマグラダのマリア」
真筆が、2014年に発見され、今回の展示の中でも 楽しみにしていました。
法悦のエクスタシーの中に 感じる エロティシズム。
浮かび上がる 生と死
聖なるものと俗なるもの。
「美しいものには棘がある」
人の心を、掴み 魅了するものには、
強烈な光と陰がある。
そして そこに孤独を感じる。
孤独は美しさを孕む。
夜空に 毎夜 姿を変え 登場する 月。
彼女が光を浴びた部分を見て 「三日月」「上弦の月」などと 名前をつけるけれども
夜空に浮かぶ月が美しいのは
見えない部分があるから。
とは言え、見えないだけで 月自身が形を変えているわけではなくて
太陽の光があたった月の 一部を見ているに過ぎない。
人生の明暗 運命のコントラスト。
「幸運」「悲運」という運命はなく
そこに光をみるのか、影をみるのか。
この光と影というテーマも浮き彫りになりそうな気配。
光と影 また、違う切り口から 書いてみようと思います。
そうそう
ガラヴァッジョ展は12月15日まで 名古屋市美術館でやっています。